×
日本史
世界史
連載
ニュース
エンタメ
誌面連動企画
歴史人Kids
動画

寛政の改革を多才な活躍で乗り越えた山東京伝

蔦重をめぐる人物とキーワード㉑

■絵師・作家・実業家・考証家としてマルチに活躍

 

 山東京伝(さんとうきょうでん)は、1761(宝暦11)年、江戸深川木場の質屋の長男として生まれた。弟に、同じく戯作者となる山東京山(きょうざん)がいる。本名は岩瀬醒(いわせさむる)という。

 

 幼くして父の転居に伴い、紅葉山の東にあたる京橋銀座一丁目に移り住んだことが、後に号を「山東」とした由来とされる。通称の京屋伝蔵を縮めて「京伝」と名乗った。

 

 若い頃から絵を描くことを好み、浮世絵師・北尾重政の門下に入って絵を学んだ。この頃に北尾政演の名で絵師として出発。1778(安永7)年の黄表紙『開帳利益札遊合』で挿絵を担当した。黄表紙とは絵入り読み物で、大人向けの娯楽小説である。京伝はこの分野で頭角を現していく。

 

 1780(安永9)年には『娘敵討故郷錦』で作家としてデビュー。1782(天明2)年『御存商売物』で注目を集め、この頃から山東京伝の号を使用するようになった。1785(天明5)年の風刺的黄表紙『江戸生艶気樺焼』では、うぬぼれの強い若者の愚行を描いて大きな人気を博し、京伝の代表作となった。

 

 ところが、松平定信(まつだいらさだのぶ)の推し進める寛政の改革が始まると、1791(寛政3)年に京伝の洒落本(しゃれぼん)三部作と呼ばれる『娼妓絹籭』『青楼昼之世界錦之裏』『仕懸文庫』が発禁処分となった。洒落本とは遊廓の世界を描いた小説である。京伝は筆禍によって手鎖50日の刑を受けた。

 

 この事件が精神的な打撃となり、以降は教訓的作風や読本へと転向する。読本とは長編の娯楽小説で、勧善懲悪を基調とした物語。1799(寛政11)年の『忠臣水滸伝』を皮切りに、『桜姫全伝曙草紙』などの作品で江戸読本の確立に貢献した。

 

 また、文筆活動のかたわら、実業家としても活動した。煙草入れなどの装身具を扱う店を経営し、江戸の流行を先取りした商品を販売している。

 

 さらに考証家としての一面も持ち、江戸の風俗や文化について詳細な記録を残した。『近世奇跡考』『骨董集』などの著作では、江戸の庶民生活や風習を克明に記録し、後世の研究者にとって貴重な史料となっている。

 

 1816(文化13)年、56歳で病没。山東京伝の創作と考証は、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)や式亭三馬(しきていさんば)ら後代の作家にも大きな影響を与えた。その多彩な才能は、江戸庶民文化の発展に欠かせない存在として、現在でも高く評価されている。

KEYWORDS:

過去記事

小野 雅彦おの まさひこ

秋田県出身。戦国時代や幕末など、日本史にまつわる記事を中心に雑誌やムックなどで執筆。近著に『「最弱」徳川家臣団の天下取り』(エムディエヌコーポレーション/矢部健太郎監修/2023)、執筆協力『歴史人物名鑑 徳川家康と最強の家臣団』(東京ニュース通信社/2022)などがある。

最新号案内

『歴史人』2025年10月号

新・古代史!卑弥呼と邪馬台国スペシャル

邪馬台国の場所は畿内か北部九州か? 論争が続く邪馬台国や卑弥呼の謎は、日本史最大のミステリーとされている。今号では、古代史専門の歴史学者たちに支持する説を伺い、最新の知見を伝えていく。